『松籟夜話plus』in京都へのお誘い、ワード集第49回 オールオーヴァー所感編2

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ミニマル・ミュージックにおける、聴き手を襲う「強度」に関して。オールオーヴァーに関して惹かれたのは、一つはこのミニマル・ミュージックにおける「強度」を考えることにあった。

確かにスティーヴ・ライヒの作品はミニマルでありながらもアンビエントの要素も持ちあわせているのはよくわかる。ただ初期の路上で録音された牧師の声をループさせている曲や、楽器を使わずに体で演奏している曲などはかなりラディカルだと思うのだか、それでもオールオーヴァーではないとされる。(フィリップ・グラスに関してはあまり聴いたことがない)
ポイントとなるのは、「空間に漲る響きの圧力、「耳の視界」へと溢れ出し流れ込む音の流量により「強度」を獲得」となりそうである。ミニマル・ミュージックと呼ばれている音楽家や作品について考えてみたのだが、私にはこの要素を満たしている作品を見つけることができなかった。これはもう作品の「録音」になにがどう記録されているか、ということが重要になってきそうである。上記にあげた要素が録音されているか、という作品側に寄るものではないだろうか。(私見ではあるが、演奏者・録音者の気合いと根性も重要な要素だと思う。松籟夜話でかかった盤の多くはここがすごい)ここで重要なのが松籟夜話、『音響・環境・即興 松籟夜話-〈耳〉の冒険』では作品を作った側(発信者)と聴き手(受信者)という構図を破壊しようとする。「聴く」という行為の可能性を広げようという実践に他ならない。

かなりオールオーヴァーの要素に拘っているようにうつるだろうが、(実際にこだわっている。)その作品がオールオーヴァーであるかどうかは、作品の善し悪しには直接関係しないと本書にも書かれている。そしてオールオーヴァーの耳の態勢で聴くということは、どんな作品においても可能である。著者の一人、津田さんは私とのやりとりで(内容はめちゃくちゃ端折るが)耳の焦点をあわせずにぼやーっと聴くことをオールオーヴァー的な聴き方だと説明してくれた。オールオーヴァーの度数みたいなものはあるにしても、それをオールオーヴァーで聴くか聴かないは自由だ。そして一見オールオーヴァーでない作品をオールオーヴァーな耳の態勢で聴くことも可能であるということ。聴く側の態勢の問題である。

最後に録音について。マイクの耳でとらえる世界の音は聴き尽くせなさが満ち満ちている。そして現場の音を直接録音できるようになってからの100何年か。このことが想像以上に我々人類にとって大きな発明だということが、『音響・環境・即興 松籟夜話-〈耳〉の冒険』を読むとわかる。

『音響・環境・即興 松籟夜話――〈耳〉の冒険』‐カンパニー社


2026.7.18(土) 『松籟夜話plus』in京都
場所:京都トコ会館(京都市中京区両替町通竹屋町下る松竹町136)
14:30開場/15:00スタート 終了19:00
松籟夜話:津田貴司× 福島恵一×歸山幸輔
料金:4000円
※先着30名
ご希望の方はweareyyby@gmail.com
井出まで名前、人数を記入しメールをお願いいたします。

 

 

『松籟夜話plus』in京都へのお誘い、ワード集第49回 オールオーヴァー所感編1

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ゲストに伊藤亜沙さんを迎えた、下北沢本屋B&Bでの刊行記念トーク・イヴェントでのこと、イヴェントの前半少し硬かった会場の空気がフランシス・ロペス『La Selva』の話になった時にパッと明るくなったのがすごく印象に残っている。 『La Selva』、松籟夜話の象徴的な一枚といって問題ないかと思う。『La Selva』にはなにかあるなと思った。ただここではこの作品について書きたいわけではない。私はまだこの作品を聴いていない、なぜなら松籟夜話で歸山スピーカーで最初に聴くと決めているから。というわけで、オールオーヴァーに関して本を再び訪れ、できればそこから跳躍できればと考えている。


Xで引用している箇所は『La Selva』の衝撃、という節からの一文。

『La Selva』を媒介に松籟夜話でのオールオーヴァーでの用法が書かれている。(ここから、ブライアン・ジョーンズのジャジューカが現地で体験した音響リアリティを追求するために、スタジオにて現地録音に様々なポスト・プロダクションを加えたという発想、想像力はお見事)私はこの一文にリー・ペリーのダブにおける創造力との相似を感じた。彼の作品はキング・ダビーをはじめとするダブ・ミキサー達のそれとは何かが違う印象を受ける。ダブを聴き始めた頃、リー・ペリーの代表作も聴いてみたのだが、これってダブ?と思ったのが正直なところ。聴いているとペリーの手法は、いわゆる音の抜き差しや、音に対するエフェクト処理ではなく、(勿論これらの手法も使われる)もっとコラージュの手法に近いんだと思うようになった頃から、リー・ペリーの作品に対し耳が開いた感覚があった。この音って元の曲と関係あるのか?というような音や、おそらく原型を留めないほどに加工された音、彼自身の自作楽器(有名なのは牛の鳴き声、確かアルミホイルで作っていた)が現れては消えたりして、「音の織物」(今思いついた。)が繰り広げられる。と、ここまで書いていてブライアン・ジョーンズのジャジューカとの相似も感じるようになった。


ここで問題なのが、私が文章から受ける印象でダブを関連づけているのであって実際のところ、『La Selva』とリー・ペリーの作品は比べても似ていないだろう。(これに関しては著者の一人、福島さんとやりとりがあった)音楽を聴く前に、批評や盤紹介なんかの文章から受ける印象で、音を想像することが好きだ。ジャケットやタイトルなんかも。想像を膨らませて頭の中で音楽を鳴らしているいる時間、それは盤を購入する前の至福の時間である。優れた音に対する文章はこういった音に対する想像力を誘発するが、『音響・環境・即興 松籟夜話――〈耳〉の冒険』でも触れられているように、それらのほとんどが音に関して何も語ってはいない。「音をして語らしめる」というのは松籟夜話の基本姿勢だ。ただ、だからこそ音に言葉を添える際には特段の注意が払われている。音と言葉の関係に終わりはない。

 

ただここで行った文章からの飛躍は大切にしたい。松籟夜話では一人ではなく、他者と一緒に聴いて「ああも聴こえる、こうも聴こえる」という正解がない場なのだから。

 

 

2026.7.18(土) 『松籟夜話plus』in京都
場所:京都トコ会館(京都市中京区両替町通竹屋町下る松竹町136)
14:30開場/15:00スタート 終了19:00

松籟夜話:津田貴司× 福島恵一×歸山幸輔
料金:4000円
※先着30名
ご希望の方はweareyyby@gmail.com
井出まで名前、人数を記入しメールをお願いいたします。

 

 

 

 

 





 

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www.kenbisalon.jp

 このワークショップに参加している。最初のお話し回が今でも感覚が蘇るくらい居心地がよくて。楽しみ勇んでいったはいいが初回は途中で下痢するは、先日の2回目は嘔吐するはで、3回目もめちゃくちゃ楽しみなんだけれど、何がでてくるかもはや楽しみですらある。デットクスしまくり。ま、2回目に関しては前日深酒していたので、オイルケアしちゃいけなかったんだろうけれど、やらないという選択肢はなかったな、もちろん後悔も無しだけれど心配おかけしました。

 このワークショップ、なにがいいって最初に書いたように居心地がすごく良い。普段あまり自分のことを人に話す方ではないと思う。体やこころが辛いこと、しんどいこと、そんなのは誰でもあるし聞いていて楽しい話ではないだろうから話題にすることはまずなかったのだが、そんな話もここなら話せると思う場の空気がある、共有できる場があり、人がいるという大発見。参加者のみんな、嫌な顔一つせず冷静に聞いてくれ、アドバイスもしてくれるあなた達は誰っていう。笑 自分もここにいる人達がしてくれているように人に接することができればなと思った。こういう場もあるということをシェア。

フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き

 

 

ジョン・コルベット『フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き』 – カンパニー社

 楽しく読めた。聴取の手引き、聴き方の手引きというのが面白い。即興音楽だけでなく、難しそうだとか、敷居が高そうとされている音楽は確かにたくさんある。それは~そうという作者不明のイメージにしか過ぎない。過ぎないが、イメージの力は強い。強いがイメージというのはあくまで想像でしかない偏見、偏ったものの見方ともいえるのではないだろうか。音楽だけでなく、こういうことは我々が生きている社会においてもごくごくに普通あることだ。音楽だと無視されるくらいですむだろうが、これが人間同士だと、愚かなるかな無視すらもできなくなることが多々ある。正見=正しくものを見よということを2000年以上も前にブッダは説いている。2000年以上たった今でもその教えはばりばり有効。

 本書では即興音楽に対しユーモアを交えながら、(ユーモアの感じがフランスっぽく感じたので作者はフランスの方かなと読み終わるまで思っていたが、アメリカの方だった。)順序だてて聴取の仕方を解説することによって、即興音楽に包まれている闇のベールがはがされていくような感じは読んでいて痛快だった。音楽の聴き方なんて千差万別でいいんだろうけど、あえて聴き方を手引かずにはおられななかったであろう著者の即興音楽への愛、そして愛し方にやられたので、前々から興味のあったデレク・ベイリーを買いに走った。こういう愛は人を動かす。

こころはもちよう

 両親が京都に遊びに来た。母が息子のことをかっこいいといっていた。あほかと思う。父が年末大きな手術をして体は不自由そうではあったが、ずーっとビールを飲んでいたので大丈夫そう。お互い歳をとったなと思う。山手の方にいったらまだツクツクボウシが鳴いている。今何月だ。それでも秋の空はうんと高い。ヨーガ哲学の勉強で般若心経を暗記する。秋の空みたいな涅槃寂静な空(くう)はうんと遠く感じる。だからいいのか。今日行った圓光寺というお寺には江戸時代最初の方に作られた般若心経の木版があり、何度もいったことがあるお寺だがこうして知ると感慨深いものがある。実家の宗派は真言宗だと知る。ばりばり般若心経。般若心経は唱えるだけでOK、涅槃寂静にいける魔法のお経。聖音Omと同じ。ヨガとの折り合いが悪く、アーサナは快適にならないし、プラーナ―ヤーマは禁忌事項にあてはまりまくっている覚えがある。スートラはしんどいことも多い。それで般若心経を出かける前に唱える、耳なし芳一の話はよく知られているのでは。ゴータマ・シッダッタこと仏様には手前の心の持ちよう一つだ、と叱咤された気がした。江戸あけみも同じことをいっていた。自分を苦しめるのは自分の心の持ちよう、その通りだと思う。一切皆苦ジョージ・クリントンもこの世界は最悪なんだとまず悟ることだ、っていってたな。うーん、なんか俺はあほかと思う。極端な性格は災いする。自分自身を縛ってどうする、逆だろう。

 本が無性に読みたくて読みたくてたくさん読む。(ジョン・ケージ伝―新たな挑戦の軌跡/ケネス シルヴァーマン、ジョン・ケージ著作選 /ジョン ケージ, 小沼 純一他、エリック・サティ覚え書/秋山邦晴武満徹エッセイ選―言葉の海へ/武満徹エッセイ選―言葉の海へ)はっきりいって、わからないということがわかる、といったことも多いがそれでも残るものは残る。それくらいでいいかなと思う。聴いている音楽もずっとこんな感じだったので、やばい、音が、、音が止まる(笑)というようなあほなことを思ったりもする。自分の音楽と比する人達ではない。反動だろうか歌謡曲にめちゃくちゃ感動することがある。どちらも同じような心で聴けるような耳を養うべし。というようなことを上記の皆いっているような気がする。こちらも心の持ちよう。

 YYBYのHPがリニューアル。home画面に貼っている動画、suikinkutsuの水琴窟の音は今日行った圓光寺の水琴窟。今日改めてお寺の水琴窟聴いたけれどとても心地良い音。10/28、12/1はライブも決まっているで、HP、liveからもしよかったらチェック。

 

yyby.jimdo.com

お礼。

 先日のLOW POWER皆々様ありがとうございました。イベントの記憶が殆ど無い。出番が最後だったので素面。本当に楽しい時というのはこういうことがたまにある至福の時間。これは出演者の皆の演奏、METROの音パワーにたまに周りが一切みえなくなるスモーキーなナイス照明演出のおかげさま。断片的に残る音と映像の記憶がたまによみがえる、現実なんだけれども非現実だなあの時間と空間は。我々YYBYは60分演奏。60分は長い、しかし短く感じたとの声を多くいただきこの上ない褒め言葉にほくそえむ。時間という感覚を超越したい、超越してもらいたいという点はめざすところのひとつ。演奏している側、自分個人としては、ま、15分くらいにしか感じていないというところ。最近時間の伸び縮みをよく感じる。LOW POWER次はいつになるかはわかりませんが、またやりますのでよろしくお願いします。YYBYとしてはアルバムも出したし、ロングセットもやったしいい意味で一区切りになれば。10月、12月とライヴも決まっているので、最近ありがちだった1ヵ月バンド活動お休みとかはなさそうなので、次に向け曲を作る。根っこの部分は中々変えることは難しいだろうから、どこかしらおや?というところを出せたら。

 イベントの翌々日、ICHIONの荒石さんから音叉の施術(http://manasoundhealing.web.fc2.com/)を受けた。音叉の音の響きがすごく気持ちよくて、音に意識がどんどん引っ張られるし音叉の振動に体が共鳴しているのがよくわかった。音叉の生の音の響きがものすごく豊かに感じたのが印象的。普段耳にする音とは全然違う種類の音、自分の体が浄化されるのもそうだし、あの音が鳴っている空間(自分の部屋)までも浄化するような音の響き。変ないいかたになるけれど、特別な音叉ライブを体感したという感じか。施術直後も体が怠いなとは思っていたのだけれど、寝てみるといくら寝ても眠たい。翌日も気怠いままで1日を過ごし、イベント終わりだし心も体も放心状態だし大丈夫か、と寝て起きたら気持ちがすっきり。短い睡眠だったので体はしんどかったけれども、めずらしく寝落ちし半日以上寝てからだもすっきり。荒石さんからも施術後いわれたように体は動かしていないけれど、かなり体疲れていたようでびっくり。グラウンディング、意識してみます。LOW POWER打ち上げではICHION、Kyraさんにヨガ的な話を随分聞いていただきとても楽しかったのです。お二人ともありがとうございました。LOW POWER、ICHIONの演奏があがっているので是非。(https://www.youtube.com/watch?v=hYmv16Ep-e8

この日のLOW POWERよりYYBY『Entrus,echo sounds』のCDとジャケットTシャツ発売しております。また地味なジャケット作ったな、と思っていたところ実際手にとってみていいただいたら思いのほか好評で嬉しい驚き。荒石さん曰くメタリカ×オウテカなジャケット。ドラムの新井君がデザインし、ベースの城尾君が手刷りですっています。Tシャツも同じく。ライブ会場での販売になりますが是非手にとってみていただきたいです。この日はアルバムに参加していただいた、録音、middle cow creek fallsの朝倉さん。ミックス&ダブミックス、ICHION荒石さん。マスタリング、糸魚さん、Asalatoでゲスト参加いただいたPanmanさん。(同じくゲスト参加のOVYUKIさんはUKからはさすがに難しい。)揃って出演していただき、それが今回一つのテーマだったのでよかった、打ち上げでもアルバム話で皆でワイワイできたので感無量。あらためてこちらもありがとうございました。また次もお願いするかと思われるのでよろしくお願いします。

9/8 LOW POWER

 

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 9/8(日)LOW POWER@京都METRO、今週末となりました。下のリンクから出演者の音も聴けるのでチェックしてみてください。自分が各出演者について書くこともありなんだろうけれど、今回それをすることもないかなと思いました。その方が一つフィルターを通らずにすむ。ダイレクトに聴いて感じて欲しい、もしくはライヴというその場限りのもの、全く事前情報なしでその場で体感するというのもいいのかもしれない、ということを考えたりもしました。SNSで出演者それぞれ、映像を作っていただいたり、音源を作っていただいたりでありがたい限りです。場の準備をして後はなるようになればいいとも思うが、イベントの主催としてもう少し。

 もしかするとLOW POWERでそれまでの音、音楽に対する価値観とかぶっ飛ばせるんじゃないか、いや、ぶっ飛ばしてほしいとの願いはこのイベントをやるたびにあります。それが可能な出演陣です。耳の心を開いておけば、ありとあらゆる音との出会いは特別な体験になりうる、と信じています。そんな体験を一度すれば音だけではなく、他の森羅万象に対しても開かれていけるのでは?みたいな大きなことを夢想させるのも音楽の力。自分も音楽を聴いたり演奏したりするなかで、たくさんのものを得たり捨てたりしてきました。そんな場を提供できればいいなという思いです。オルタナティブ/エクスペリメンタルなダンスミュージックというなかなかの横文字を謳ってはいますが、だいたいこういう感じです。気が向けばぶらっとよってみて下さい、いつ来ていただいても面白い音は鳴っています。

https://lowpower-alternative-dancemusic.tumblr.com/

https://www.facebook.com/events/kyoto-metro/low-power/3194197723983536/

https://www.metro.ne.jp/single-post/190908

 ※ICHIONのお二人がやっている、マナ サウンド ヒーリングの関西出張があるみたいです。前々からぜひ体験してみたいなと思っていた施術、今回念願かなって受けられることになりました。この施術終わりまでが自分のLOW POWERだと思っています。

関西出張のお知らせ。: 湘南大磯 マナ サウンド ヒーリング -Blog 調律日誌-