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ミニマル・ミュージックにおける、聴き手を襲う「強度」に関して。オールオーヴァーに関して惹かれたのは、一つはこのミニマル・ミュージックにおける「強度」を考えることにあった。
確かにスティーヴ・ライヒの作品はミニマルでありながらもアンビエントの要素も持ちあわせているのはよくわかる。ただ初期の路上で録音された牧師の声をループさせている曲や、楽器を使わずに体で演奏している曲などはかなりラディカルだと思うのだか、それでもオールオーヴァーではないとされる。(フィリップ・グラスに関してはあまり聴いたことがない)
ポイントとなるのは、「空間に漲る響きの圧力、「耳の視界」へと溢れ出し流れ込む音の流量により「強度」を獲得」となりそうである。ミニマル・ミュージックと呼ばれている音楽家や作品について考えてみたのだが、私にはこの要素を満たしている作品を見つけることができなかった。これはもう作品の「録音」になにがどう記録されているか、ということが重要になってきそうである。上記にあげた要素が録音されているか、という作品側に寄るものではないだろうか。(私見ではあるが、演奏者・録音者の気合いと根性も重要な要素だと思う。松籟夜話でかかった盤の多くはここがすごい)ここで重要なのが松籟夜話、『音響・環境・即興 松籟夜話-〈耳〉の冒険』では作品を作った側(発信者)と聴き手(受信者)という構図を破壊しようとする。「聴く」という行為の可能性を広げようという実践に他ならない。
かなりオールオーヴァーの要素に拘っているようにうつるだろうが、(実際にこだわっている。)その作品がオールオーヴァーであるかどうかは、作品の善し悪しには直接関係しないと本書にも書かれている。そしてオールオーヴァーの耳の態勢で聴くということは、どんな作品においても可能である。著者の一人、津田さんは私とのやりとりで(内容はめちゃくちゃ端折るが)耳の焦点をあわせずにぼやーっと聴くことをオールオーヴァー的な聴き方だと説明してくれた。オールオーヴァーの度数みたいなものはあるにしても、それをオールオーヴァーで聴くか聴かないは自由だ。そして一見オールオーヴァーでない作品をオールオーヴァーな耳の態勢で聴くことも可能であるということ。聴く側の態勢の問題である。
最後に録音について。マイクの耳でとらえる世界の音は聴き尽くせなさが満ち満ちている。そして現場の音を直接録音できるようになってからの100何年か。このことが想像以上に我々人類にとって大きな発明だということが、『音響・環境・即興 松籟夜話-〈耳〉の冒険』を読むとわかる。
『音響・環境・即興 松籟夜話――〈耳〉の冒険』‐カンパニー社
2026.7.18(土) 『松籟夜話plus』in京都
場所:京都トコ会館(京都市中京区両替町通竹屋町下る松竹町136)
14:30開場/15:00スタート 終了19:00
松籟夜話:津田貴司× 福島恵一×歸山幸輔
料金:4000円
※先着30名
ご希望の方はweareyyby@gmail.com
井出まで名前、人数を記入しメールをお願いいたします。



