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www.kenbisalon.jp

 このワークショップに参加している。最初のお話し回が今でも感覚が蘇るくらい居心地がよくて。楽しみ勇んでいったはいいが初回は途中で下痢するは、先日の2回目は嘔吐するはで、3回目もめちゃくちゃ楽しみなんだけれど、何がでてくるかもはや楽しみですらある。デットクスしまくり。ま、2回目に関しては前日深酒していたので、オイルケアしちゃいけなかったんだろうけれど、やらないという選択肢はなかったな、もちろん後悔も無しだけれど心配おかけしました。

 このワークショップ、なにがいいって最初に書いたように居心地がすごく良い。普段あまり自分のことを人に話す方ではないと思う。体やこころが辛いこと、しんどいこと、そんなのは誰でもあるし聞いていて楽しい話ではないだろうから話題にすることはまずなかったのだが、そんな話もここなら話せると思う場の空気がある、共有できる場があり、人がいるという大発見。参加者のみんな、嫌な顔一つせず冷静に聞いてくれ、アドバイスもしてくれるあなた達は誰っていう。笑 自分もここにいる人達がしてくれているように人に接することができればなと思った。こういう場もあるということをシェア。

フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き

 

 

ジョン・コルベット『フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き』 – カンパニー社

 楽しく読めた。聴取の手引き、聴き方の手引きというのが面白い。即興音楽だけでなく、難しそうだとか、敷居が高そうとされている音楽は確かにたくさんある。それは~そうという作者不明のイメージにしか過ぎない。過ぎないが、イメージの力は強い。強いがイメージというのはあくまで想像でしかない偏見、偏ったものの見方ともいえるのではないだろうか。音楽だけでなく、こういうことは我々が生きている社会においてもごくごくに普通あることだ。音楽だと無視されるくらいですむだろうが、これが人間同士だと、愚かなるかな無視すらもできなくなることが多々ある。正見=正しくものを見よということを2000年以上も前にブッダは説いている。2000年以上たった今でもその教えはばりばり有効。

 本書では即興音楽に対しユーモアを交えながら、(ユーモアの感じがフランスっぽく感じたので作者はフランスの方かなと読み終わるまで思っていたが、アメリカの方だった。)順序だてて聴取の仕方を解説することによって、即興音楽に包まれている闇のベールがはがされていくような感じは読んでいて痛快だった。音楽の聴き方なんて千差万別でいいんだろうけど、あえて聴き方を手引かずにはおられななかったであろう著者の即興音楽への愛、そして愛し方にやられたので、前々から興味のあったデレク・ベイリーを買いに走った。こういう愛は人を動かす。

こころはもちよう

 両親が京都に遊びに来た。母が息子のことをかっこいいといっていた。あほかと思う。父が年末大きな手術をして体は不自由そうではあったが、ずーっとビールを飲んでいたので大丈夫そう。お互い歳をとったなと思う。山手の方にいったらまだツクツクボウシが鳴いている。今何月だ。それでも秋の空はうんと高い。ヨーガ哲学の勉強で般若心経を暗記する。秋の空みたいな涅槃寂静な空(くう)はうんと遠く感じる。だからいいのか。今日行った圓光寺というお寺には江戸時代最初の方に作られた般若心経の木版があり、何度もいったことがあるお寺だがこうして知ると感慨深いものがある。実家の宗派は真言宗だと知る。ばりばり般若心経。般若心経は唱えるだけでOK、涅槃寂静にいける魔法のお経。聖音Omと同じ。ヨガとの折り合いが悪く、アーサナは快適にならないし、プラーナ―ヤーマは禁忌事項にあてはまりまくっている覚えがある。スートラはしんどいことも多い。それで般若心経を出かける前に唱える、耳なし芳一の話はよく知られているのでは。ゴータマ・シッダッタこと仏様には手前の心の持ちよう一つだ、と叱咤された気がした。江戸あけみも同じことをいっていた。自分を苦しめるのは自分の心の持ちよう、その通りだと思う。一切皆苦ジョージ・クリントンもこの世界は最悪なんだとまず悟ることだ、っていってたな。うーん、なんか俺はあほかと思う。極端な性格は災いする。自分自身を縛ってどうする、逆だろう。

 本が無性に読みたくて読みたくてたくさん読む。(ジョン・ケージ伝―新たな挑戦の軌跡/ケネス シルヴァーマン、ジョン・ケージ著作選 /ジョン ケージ, 小沼 純一他、エリック・サティ覚え書/秋山邦晴武満徹エッセイ選―言葉の海へ/武満徹エッセイ選―言葉の海へ)はっきりいって、わからないということがわかる、といったことも多いがそれでも残るものは残る。それくらいでいいかなと思う。聴いている音楽もずっとこんな感じだったので、やばい、音が、、音が止まる(笑)というようなあほなことを思ったりもする。自分の音楽と比する人達ではない。反動だろうか歌謡曲にめちゃくちゃ感動することがある。どちらも同じような心で聴けるような耳を養うべし。というようなことを上記の皆いっているような気がする。こちらも心の持ちよう。

 YYBYのHPがリニューアル。home画面に貼っている動画、suikinkutsuの水琴窟の音は今日行った圓光寺の水琴窟。今日改めてお寺の水琴窟聴いたけれどとても心地良い音。10/28、12/1はライブも決まっているで、HP、liveからもしよかったらチェック。

 

yyby.jimdo.com

お礼。

 先日のLOW POWER皆々様ありがとうございました。イベントの記憶が殆ど無い。出番が最後だったので素面。本当に楽しい時というのはこういうことがたまにある至福の時間。これは出演者の皆の演奏、METROの音パワーにたまに周りが一切みえなくなるスモーキーなナイス照明演出のおかげさま。断片的に残る音と映像の記憶がたまによみがえる、現実なんだけれども非現実だなあの時間と空間は。我々YYBYは60分演奏。60分は長い、しかし短く感じたとの声を多くいただきこの上ない褒め言葉にほくそえむ。時間という感覚を超越したい、超越してもらいたいという点はめざすところのひとつ。演奏している側、自分個人としては、ま、15分くらいにしか感じていないというところ。最近時間の伸び縮みをよく感じる。LOW POWER次はいつになるかはわかりませんが、またやりますのでよろしくお願いします。YYBYとしてはアルバムも出したし、ロングセットもやったしいい意味で一区切りになれば。10月、12月とライヴも決まっているので、最近ありがちだった1ヵ月バンド活動お休みとかはなさそうなので、次に向け曲を作る。根っこの部分は中々変えることは難しいだろうから、どこかしらおや?というところを出せたら。

 イベントの翌々日、ICHIONの荒石さんから音叉の施術(http://manasoundhealing.web.fc2.com/)を受けた。音叉の音の響きがすごく気持ちよくて、音に意識がどんどん引っ張られるし音叉の振動に体が共鳴しているのがよくわかった。音叉の生の音の響きがものすごく豊かに感じたのが印象的。普段耳にする音とは全然違う種類の音、自分の体が浄化されるのもそうだし、あの音が鳴っている空間(自分の部屋)までも浄化するような音の響き。変ないいかたになるけれど、特別な音叉ライブを体感したという感じか。施術直後も体が怠いなとは思っていたのだけれど、寝てみるといくら寝ても眠たい。翌日も気怠いままで1日を過ごし、イベント終わりだし心も体も放心状態だし大丈夫か、と寝て起きたら気持ちがすっきり。短い睡眠だったので体はしんどかったけれども、めずらしく寝落ちし半日以上寝てからだもすっきり。荒石さんからも施術後いわれたように体は動かしていないけれど、かなり体疲れていたようでびっくり。グラウンディング、意識してみます。LOW POWER打ち上げではICHION、Kyraさんにヨガ的な話を随分聞いていただきとても楽しかったのです。お二人ともありがとうございました。LOW POWER、ICHIONの演奏があがっているので是非。(https://www.youtube.com/watch?v=hYmv16Ep-e8

この日のLOW POWERよりYYBY『Entrus,echo sounds』のCDとジャケットTシャツ発売しております。また地味なジャケット作ったな、と思っていたところ実際手にとってみていいただいたら思いのほか好評で嬉しい驚き。荒石さん曰くメタリカ×オウテカなジャケット。ドラムの新井君がデザインし、ベースの城尾君が手刷りですっています。Tシャツも同じく。ライブ会場での販売になりますが是非手にとってみていただきたいです。この日はアルバムに参加していただいた、録音、middle cow creek fallsの朝倉さん。ミックス&ダブミックス、ICHION荒石さん。マスタリング、糸魚さん、Asalatoでゲスト参加いただいたPanmanさん。(同じくゲスト参加のOVYUKIさんはUKからはさすがに難しい。)揃って出演していただき、それが今回一つのテーマだったのでよかった、打ち上げでもアルバム話で皆でワイワイできたので感無量。あらためてこちらもありがとうございました。また次もお願いするかと思われるのでよろしくお願いします。

9/8 LOW POWER

 

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 9/8(日)LOW POWER@京都METRO、今週末となりました。下のリンクから出演者の音も聴けるのでチェックしてみてください。自分が各出演者について書くこともありなんだろうけれど、今回それをすることもないかなと思いました。その方が一つフィルターを通らずにすむ。ダイレクトに聴いて感じて欲しい、もしくはライヴというその場限りのもの、全く事前情報なしでその場で体感するというのもいいのかもしれない、ということを考えたりもしました。SNSで出演者それぞれ、映像を作っていただいたり、音源を作っていただいたりでありがたい限りです。場の準備をして後はなるようになればいいとも思うが、イベントの主催としてもう少し。

 もしかするとLOW POWERでそれまでの音、音楽に対する価値観とかぶっ飛ばせるんじゃないか、いや、ぶっ飛ばしてほしいとの願いはこのイベントをやるたびにあります。それが可能な出演陣です。耳の心を開いておけば、ありとあらゆる音との出会いは特別な体験になりうる、と信じています。そんな体験を一度すれば音だけではなく、他の森羅万象に対しても開かれていけるのでは?みたいな大きなことを夢想させるのも音楽の力。自分も音楽を聴いたり演奏したりするなかで、たくさんのものを得たり捨てたりしてきました。そんな場を提供できればいいなという思いです。オルタナティブ/エクスペリメンタルなダンスミュージックというなかなかの横文字を謳ってはいますが、だいたいこういう感じです。気が向けばぶらっとよってみて下さい、いつ来ていただいても面白い音は鳴っています。

https://lowpower-alternative-dancemusic.tumblr.com/

https://www.facebook.com/events/kyoto-metro/low-power/3194197723983536/

https://www.metro.ne.jp/single-post/190908

 ※ICHIONのお二人がやっている、マナ サウンド ヒーリングの関西出張があるみたいです。前々からぜひ体験してみたいなと思っていた施術、今回念願かなって受けられることになりました。この施術終わりまでが自分のLOW POWERだと思っています。

関西出張のお知らせ。: 湘南大磯 マナ サウンド ヒーリング -Blog 調律日誌-

Entrus,echo sounds

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 YYBY『Entrus,echo sounds』リリースしております。今のところ、配信のみですが(初の試み)、CDも作成します。

・streaming
・bandcamp
song:YYBY
recording:studio INO/Naohiro Asakura
mix&dub mix:araishi akira / ICHION
mastering:Ken'ichi Itoi
 
Track3 feat.OVYUKI
Track7 feat.PANMAN(ASALATO tokyo)
 今回、アルバム作ろうてなったのは、、、自分からいいだしたのではなく、確かリズム隊のどちらかがアルバム作ろうと言い出したのが去年の年末。何故ならその時、バンドでこれといってやることがなかったからである。それでもうリリースしているのだからたいしたもの。バンドとしてはできていた曲を演奏し、それをナイス録音してくれたのがstudio INOのNaohiro Asakuraさん。YYBYのようなバンド録るのどうなのかな、とも思いもしたが、話をしてみるとなんてことはなかった。meditationsでドローン買ってるとのことで問題無し。10時間あの曲達に飽きること無く付き合っていただけたのはそういうところがあったからかな。mix&dub mixはICHIONでおなじみ荒石さん、ミックスは自分でやるまいと決めていて誰に頼もうかなと思い、どうしようかなと相談していた相手が荒石さん。で、荒石さん?いや、荒石さんやろとなってご依頼。mix&dub mix本当にトラックが送られてくるのが楽しかった。一番初めにトラックが送られてきた時、あ、この人で大丈夫だと確信した。年明けに一緒に飲んだのがよっかたと思われる、飲みにけーしょん大事。それでもかなり密にやり取りして仕上げていった。どれくらいかというともう編曲は荒石さん、といえるくらい。このミックスは自分がやったわけではないが誇れるやつ。煙たくてたるい。マスタリングはshrine.jpでおなじみ糸魚さん。これは最初からお願いしようと決めていた。マスタリングデータ送られてきてもう一発OKでなにも追加でお願いすることなし。さすが。
 ゲストのOVYUKIさんはよく声ネタをサンプリングさせてもらっているスポークンワーズの方、クレジットは3曲目のみだけれど、入っている声ネタの殆どはこの方。次は一緒にコラボしよう!て前回EPを出した時に話をしていたからコラボ実現という流れ。聴いてみてもらえればわかる、かっこいいんだ。アサラトで参加していただいたPANMANさん。そもそもはヨガスタジオが企画しているアサラトのワークショップで出会ったのがきっかけ。この方、アサラト世界チャンピョン。すごい方。ネットで動画検索してみて下さい、アサラトってこんなことできるんだ!と驚くはず。お願いしたら二つ返事で参加ということに。電子楽器、電子音楽とのコラボレーションは初とのこと。この7曲目個人的にかなりお気に入り。
 というわけで各所のすごい方々にお手伝いいただき、できたアルバム。繰り返すが、アルバム作成に際して演奏しかしていないんだ。曲は作っていたけれど。というわけでこのアルバムに対して、完成した感慨深さとかいうものが余り無い。このフラットな感じがいいなと思う。聴いていただける方、2曲目あたりで寝て、3曲目のスポークンワーズではっと目覚めてまた寝て後半辺りまで聴いているような聴いていないような、まどろむ感じで聴いていたら終わっていたみたいなのがいいかな。で、よくわからなかったし、ということでもう一度最初から聴いてもらえれば最高。曲を作る時も、アルバムにするときも聴いていて疲れないということが何よりの優先事項なのでね。作業BGMやなんかに使ってもらっても嬉しい。ただ低音をしっかり聴いて欲しいのでスピーカー、ヘッドフォン推奨。タイトルの通り。委ねる、木霊の音達。でも委ねるって、本当に何か対象に心身ともに委ねられるものはなかなかないし、委ねること自体難しいことだと思う。『Entrus,echo sounds』に心身とも委ねていただけるような音になっていれば本望。というわけでディープリズニングにも対応しているつもりで作った。dub you crazzzyyy!!
 

暇なのか?

 心身の倦怠感、だるさ、覇気の無さ、眠気、諸々。これは春という季節の到来からくるものである。何度も書いているけれど季節の変わり目に敏感に反応するおれの心にからだは、、、虚弱なのかよくいえば繊細なのか。ヨーガでいうところのタマスの極みみたいな状態であった。あった、と過去形なのはこの間練習終わりでいつものように寝落ちしてクラッシック倶楽部のベートーベンのバイオリンソナタをなんとはなしに見ていた時のこと、特にその演奏や曲に感銘を受けたわけではないのだけれど、あ、これはスイッチ入ったなんという瞬間が自分でもわかった。別に文章にしなくてもみたいなことなんだけれども、まあ特に書くこともないので。そのかげでこうしてブログも書いているわけ。夜生活に戻り、本当に生活がシンプルになった。直に人と接するいう機会が殆どないし会う人もいつも同じ人。独りの時間が本当に長い、ある意味贅沢なことである。友人であったり、家族だったり子供だったり身内であっても、身内だからこそ自分のことは差し置いてでも時間を割かなければならない状況というのは煩わしさでもあり、喜びでもあるのだろう。こんな内容だが、先日母から筍が届いた。しかも調理してくれているやつ。美味しい、実家の味がする、感謝。またビール送ります。

※タマス、サッドヴァ、ラジャス、精神・心の状態を現す用語。グナと呼ばれる。これらがプラクリティ(人間の意識や感情、感覚器官や肉体器官を作り出す)をダンスさせて、非顕現で無とか空の状態であったプルシャを振り向かせて、プルシャがプラクリティをみてしまったことによりこの世界があらわれた。この世界はプラクリティが作った幻である。この幻の世界は苦しみにみちている。何故かというと心や感情があるために生まれる、悩み苦しみ喜び。煩悩。病気などの心身的苦痛。そこでヨーガスートラの編纂者であるパタンジャリは、こう仰せた。「ヨーガとは心のはたらきの消滅である」そうすることで、プラクリティを見る前の何も無い状態プルシャに戻りましょう、幻をみるのをやめて、輪廻からの解脱を目的とする。そのための方法がヨーガスートラには書かれている。大雑把にしかまだ説明できないのだけれどわかるかな?というヨーガスートラ、ヨーガの根本教典を勉強中。感情や煩悩なんていうのは人間を人間たらしめているのは間違いないのだが、確かにいちいち怒ったり、悲しんだりり、面倒だなと感じることは自分にはある。憂き世思考な自分にはパタンジャリがいうことはよくわかる。否が応でも湧いてくる感覚を鈍らせ鈍らせ、麻痺させていればそれは楽だ。そうするための手段に音楽がありチャリがあり、ヨーガもこうしてあったとういう話。瞑想だな、瞑想。注、だからといって解脱したいわけではない。考え方としてわかるな、面白いなと思うし、生きるにあたって活かせる部分もある。追記しておくと今現在行われているヨーガの殆どはこの後にでてくる、ハタヨーガにあたるそう。

 これを書きながらテレビではドビュッシーが流れているんだけれども、前回の投稿に引き続き現代音楽、前衛音楽関連の本を面白く読んでいた。いたというのも今は上記したヨーガスートラをよんでいるから。高橋悠治という怪物/青柳いづみこ、きっかけの音楽/高橋悠治、卵のように軽やかにサティによるサティ/エリック・サティ、ミュージック「現代音楽」を作った作曲家達/ハンス・ウルリッヒ・オブリスト。まあどの本にも必ずでてくるドビュッシー。何枚か作品持っているし勿論聴いたんだけれど、まったくといっていいほど記憶にないからまだよくわからなかったのだと思う。なのでドビュッシーに関して書けることは現代音楽において欠かせない人なんだろうなという認識でしかない。ぶっちゃけたところ、これらの本を読むにあたって割とどんな音楽かはどうでもよくて、文章から音を妄想するのがいいんだ。作曲家達の思想、音楽に対する批評、取り組み、捉え方、扱い方を知ることが驚きという喜び。ただし自分に彼らのように音楽を作ったり演奏出来るかというとそれはまた別の話。やろうとすると音だすのを止めてしまいそうな危うさを感じる。実際今まである曲を全部録音しミックスも完了し、あとは音に関してマスタリングのみになっている今、これからどんな音をだそうかなと考えることもしばしば。出したい音を出してみればいいのだろうけれど、そこに思考が入ってくるとややこしくもあり楽しくもあり。独りだということを最初にえらく書いたけれど。一緒に演奏する人があと二人いるので、おれが独りで悶々とする必要は無い。無いがこんなことを考えたんだと二人に話すかどうかもわからないし、二人が仮にこれを読んだとしても反応があるかどうかもわからない。そこは強要はしない。なるようにさせる。今日は練習終わり、皆で食べた回転寿しは美味しかった。明日はライブ、繰り返される日常の中にこういう非日常があるからこその快楽ではないか。というわけでやるべきこともあるし、やりたいこともまだある。

 あ、最後にミュージック「現代音楽」を作った作曲家達よりすごく印象に残った言葉を引用しておく、「ハーモニーとは聴くことで、関係性を感じとることについてです。聴くことを通じて関係性を感じとること、それこそが私が考えるハーモニーと考えるものです。」ポーリン・オリヴェロス ベリナイス!

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